水を求めて、各時代に大きな役割を果たした旧木ノ俣用水の取入口
 板室温泉に向かう板室街道に、木の俣橋があり、この木の俣川の上流に旧ノ俣用水取入口があります。この用水は、宝暦13年(1763)から明和2年(1765)に木の俣川から取水し、穴沢に至る穴沢用水を起源としています。
 穴沢用水は、一集落をうるおす小規模な用水でありましたが、安永元年(1772)には約10㎞下流まで延長され、重要性をましました(安永堀・細竹用水)。さらに、文化7年(1810)には、幕府代官山口鉄五郎の新田開発に利用され、新たに約20㎞の水路開削の工事が完成しました(山口堀)。これによって多くの水田が開かれましたが、幕末には大半が廃されました。
 明治20年代(1887)には、再び水田開発を目指して水路の大改修や流路変更が行われ、戦後になると、戦後開拓地をうるおすために分水され、一段と重要な用水となりました。
 この用水は、明治以降、総称して木ノ俣用水と呼ばれましたが、明治26年(1893)開削の新木ノ俣用水に対して、旧木ノ俣用水とも呼ばれています。
 なお、昭和55年(1980)に那須野ヶ原総合開発の一環として、取入口を近代的な設備に改築されました。


水音高き渓流に映える紅葉が美しい (左)穴沢堰堤
       高: 10.0m 
       長: 42.0m
     立積: 1,777.4㎥
 計画貯砂量:120,000㎥
 昭和25年(1950)建設

 
旧木ノ俣用水は、この穴沢堰堤の直上流から取水して
います。


改修前の取入口



 古い水路は、取入口から木の俣川・那珂川沿いの急斜面をトンネルと堀で通り、油井で台地にあがりました。    
 左の写真は、木の俣園地から対岸の崖を見ると、トンネルの窓と思われる五角形の穴が見えます。



(右)木の俣川沿いに残る、古いトンネルの内部


所 在 地  管 理 者   建設時期











用途・目的
規   模     
那須塩原市百村(取入口・木の俣川)
那須野ヶ原土地改良区連合
明和2年(1765) 穴沢用水完成
安永元年(1772) 穴沢用水延長
       (安永堀、細竹用水)
天明5年(1785) 穴沢用水延長
       (木綿畑用水)
文化7年(1810) 穴沢用水を利用し、新たに約20㎞の水路完成(山口堀)
幕末(1853~1868)穴沢から上厚崎村方面に分水(上厚崎堀)
明治18年(1885) 山口堀の復興
明治25年(1892) 山口堀、穴沢以南の大幅流路変更(弥六堀)
明治33年(1900) この頃、山口堀関係者木ノ俣用水組合結成(後に新木ノ俣用水に対し旧木ノ俣用水と呼ばれるようになる)
昭和55年(1980)3月 現在の旧木ノ俣頭首工完成
創設当時:飲用水、後に開田及び飲用水
現在の頭首工:コンクリート・フローテングタイプ
          堤高 1.00m・堤長 45.00m
          取水量 0.60㎥/s

案 内 図
参考文献
栃木県土地改良史・栃木県土地改良事業団体連合会
那須野ヶ原の疎水を歩く・黒磯の昔をたずねる会
那須野が原ガイドブック・石ぐら会(ボランティアグループ)

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